本田直之の「賛否両論=オリジナリティ」

語学力が、料理とパリへの切符となりました。

第6回「Dersou」・関根拓氏(前編)

文:本田 直之 / 編集協力:上阪 徹 / 写真:諸石 信 (特記なき写真) 06.22.2017

厨房での写真は、本田直之氏が企画したイベント「DREAM DUSK Vol.2」(5月28日、福岡市のThe Luigans Spa & Resortで開催)のときのもの

フランスで今、最も信頼されているレストランガイド「フーディング」は毎年、いろいろな賞を出しています。ベストシェフ、ベストビストロ……。中でも最も栄誉ある賞は、その年に1店しか選ばれない「ベストレストラン」です。

2015年。この賞に選ばれた日本人がオーナーシェフを務めるレストランがあります。2014年にパリでオープンした「Dersou(デルス)」です。

「Dersou」の躍進ぶりはそれにとどまりません。毎年春、世界中から国もジャンルもスタイルも問われず、120人ものトップシェフやパティシエが集い、パリで3日間、開催される国際的な料理イベント「オムニヴォール」に招かれ、2000人以上の客が収容される大会場で料理をデモンストレーション。この年の「オムニヴォール」が選ぶベストオープニング賞も獲得しました。

米ニューヨーク・タイムズ紙をはじめ、世界のメディアも高く評価。世界中の食通たちが続々と店を訪れています。

その「Dersou」のオーナーシェフが、関根拓さん。36歳。早稲田高等学院から早稲田大学政治経済学部卒という料理人としては異色の経歴を持った方です。

■連載6 Dersou(デルス) オーナーシェフ 関根拓氏

2014年にパリでオープン。翌年、フランスで最も信頼されているレストランガイド「フーディング」が年に1店だけ選ぶベストレストランに選ばれた。フレンチやアジアンというジャンルの垣根を取り払ったオリジナル料理の数々と料理ごとにオリジナルカクテルをペアリングするコースメニューが話題を呼び、世界中の食通たちが店を訪れている。

高校の「自由」が、人生の道を決めた

「アラン・デュカス」や「エレン・ダローズ」、「サチュルヌ」、「クラウン・バー」など名店で腕を磨いてきましたが、「Dersou」が提供しているのは、フレンチやアジアンといったジャンルの垣根を取り払った、まさにオリジナリティ溢れた料理の数々。

「Dersou」の店内。左が関根氏。右は共同経営者のアモリ・ギヨー氏(写真提供:関根拓氏)

僕が関根さんに初めて会ったのは、2013年。彼が「Dersou」をオープンする前でした。僕はパリで日本人シェフが集まる会をよく開いているのですが、その会に顔を出してくれたのでした。すでにパリで大人気のレストランを任されていた関根さんのことは、初対面にもかかわらずとても印象に残りました。

まずなんといっても、その語学力の高さ。フランス語のみならず、英語、イタリア語も流ちょうで、ローカルのコミュニティにもすんなりと溶け込んでいました。

そして考え方も、当時からオリジナリティに溢れていました。

パリで腕を磨く日本のシェフたちの多くは、いつかミシュランの星を取る、いつか世界の料理コンテストでアワードを取る、といった目標を立てていました。そんな空気が強い中で、関根さんはまるで違う考え方を持っていたのです。

関根さんの料理は、典型的なフランス料理ではありません。ミシュランの星がほしければ、オーソドックスな道を選ぶのが筋。でも、関根さんが選んだのは、「オリジナリティ」を極める道でした。

いまや「Dersou」の名物ともいえる、料理に合ったカクテルを毎回出す、「料理とカクテルのペアリング」というアイディアについては、お店を始める半年ほど前に関根さんからうかがいました。当時の僕にはまったくピンと来なくて、「それ、大丈夫ですか」と言ってしまった記憶が残っています。

オープン当初は少々苦戦したようですが、彼のオリジナリティ溢れた料理は、ほどなくしてパリはもちろん世界から高い評価を得ることになります。オープンからたった3カ月後、僕が初めてお店を訪れたときには、ほとんど満席状態が続く超人気店になっていました。

では、関根さんが目指した「オリジナリティ」とはなにか。それを探っていきましょう。

自由は意外に大変である

東京出身の関根さんが中学生の頃に持っていた夢は、シェフではありませんでした。

政治家になる、総理大臣になる、というものだったのです。今や、そんな人が料理の世界に入ってきているのか、と驚かれるかもしれません。

総理大臣を目指すにはそれなりの学校に行かねばなるまい、と関根さんが受験した高校は、海城、桐蔭学園、慶應などの東京で名だたる超難関校でした。受けた学校は軒並み合格したそうですが、最終的に選んだのが早稲田高等学院でした。

「この選択は正しかった、とても満足しています」と関根さんは語ります。

「どの高校がいちばん自分に向いているかな、と考えた末に早稲田を選んだんです。この学校はとにかく自由でした。知る人ぞ知る話ですが、校則は一つしかありません。学校に下駄をはいてきちゃいけない(笑)。以上です。他は何もない。何をするか、すべて自分で決める学校でした」

そんな高校だったからこそ、学んだことがある、と関根さんは言います。それは、自由は意外に大変だ、ということです。

「いろんな気づきがありました。言われたことをただやっているほうがラクなんだな、とか、自由は自分で手に入れるものなんだな、とか。自由というのは、自分の意思を実現するベースであり、自由を手に入れるためには、自分で環境を整えていかないといけない。自由との関わり方のようなものを見つけることができたと思っています」

大学は早稲田大学の政治経済学部に進みますが、次第に自分の本当の興味と関心に気づいていくことになります。それは、政治や総理への道ではなく、哲学や外国の文化でした。ゆくゆくは外国で仕事をしてみたい、と関根さんは考えるようになりました。

ただし、考えるだけではなく、すぐに行動に移してしまう。それが関根さんです。

「まずは語学を身につけようと思いました。英語はもちろん、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、韓国語も始めました」

大学の選択語学だったイタリア語については、最終的に学年1位の成績をとるまでになりました。イタリアの文化と言葉に強い興味を持ったことがきっかけで、語学習得にも身が入ったのです。