角田光代の「もう一杯だけ☆ご一緒に」

好きになりたい!

第2回:街角の立ち飲み屋さんへの“憧れ”と“現実”

文:角田 光代 /写真:菊池くらげ/イラスト:ノグチノブコ 05.22.2018

お酒と食が大好きな女流作家の角田光代さん。居酒屋で友人と肩を並べ、あれこれよもやま話に花を咲かせることも多いとか。そうした場面を切り取って、エッセイにしてカンパネラ読者にお届けしようという本企画。お酒はもちろん、仕事や恋愛、友人や家族など、いろいろなテーマについて存分に語っていただきます。第2回は、街角の立ち飲み屋さんに熱いまなざしを送り続けた角田さんが、いざ憧れの場所に足を踏み入れた時の顛末記。さて、何が起きたのでしょうか。

自分の好みは、自分のことだからよくわかっているはずだ、と私たちは思いこんでいる。しかし酒場にかんしては、かならずしもそうとはいえないかもしれない。

私は洒落ていて気取った店や、一年半先まで予約が取れないような有名店よりも、なんでもない居酒屋が好きだ。この好みは、酒を飲むようになった二十代のときから変わらない。

なんでもない居酒屋というのは、店先に赤提灯があったり店内にテレビがあったりする、庶民的な居酒屋のことだ。年齢を重ねるごとにどんどんそういう店を好むようになった。めったにいかない町を歩いていて、「なんていい店だろう」と思わず足を止めてしまうのは、いかにも大衆居酒屋然とした店である。

そんなわけだから、もちろん私は立ち飲み屋なんて好きで好きでたまらないだろうと思っていた。

今ではどの町でもよく見かける立ち飲み屋さんだけれど、ひと昔前はそんなに多くなかった。さらにさかのぼってふた昔くらい前、七〇年代あたりでは、酒屋さんの店先で、逆さにしたビールケースを椅子やテーブルがわりにして、大人たちが飲んでいるのはよく目にした。飲んでいるのは男ばかりで女性はおらず、しかもちょっとこわい雰囲気だった。

この十年くらいのあいだに、都内には立ち飲み屋さんがどっと増えた。七〇年代のちょっとこわい角打ちとは異なる、お洒落な雰囲気の立ち飲み屋が多い。私の住む町にも、あれよあれよという間に立ち飲み屋さんは増え続けている。

立ち飲み屋さんが出はじめた十数年前、「なんて私好みの飲み屋だろう」と私はわくわくしていた。しかしその当時、ひとりで入る勇気はなくて、だれかに誘われるのを待っていた。しかしなかなか誘われない。私からもなんとなく誘えない。けっこうなあいだ、私はただひたすらに立ち飲み屋を憧れのまなざしで見つめていた。

「憧れの立ち飲み屋」に足を踏み入れてはみたものの

あるときようやく親しい編集者氏が誘ってくれた。会食の約束があったのだが、その前に、軽く立ち飲みで一杯やっていきましょう、というのである。「ごはんの前に軽く一杯」という響きも、じつに私をわくわくさせる。

そして私たちは、焼き鳥がウリの立ち飲み屋に向かい、ビールを頼み数本の焼き鳥を頼み、立ったまま飲みはじめた。この店はたいへんな人気店らしく、店内はもちろん、店の外まで立ち飲み客でごった返して、屋台の店のようである。

私にとっては初となる立ち飲みをしながら、私は重大なことに気づいた。こんなにも私好みの店構え、私好みのたたずまい、私好みのにぎわい、しかも焼き鳥はおいしい、ビールもおいしい、酎ハイもおかわりしたい、でも、でも、でも、立って飲み食いするのがいやだ!

長きにわたって憧れ、しかも私好みだった立ち飲み屋さん。なのに私は、立って飲んだり食べたりすることが苦手だった。落ち着かない。食べた気が、飲んだ気がしない。はたまた、立ったまま飲み食いすると、人と会話する集中力が失せる。しかも脚が疲れる。ゆっくりしたい。座りたい。

そして思い出した。そうだ、文学賞のパーティはすべて立食なのだが、私はそれが苦手なあまり、めったに出席しないし、出席しなければならない場合は何も食べない。立って食べるくらいなら空腹で酔っ払ったほうがまだいい。立食パーティと立ち飲み屋と、シチュエーションが違いすぎて思い出せなかったが、たしかに私は立ち飲み食いは昔から苦手だった。

そう自覚した初立ち飲み以来、私は自分から立ち飲み屋さんにいくことはない。そして立ち飲み屋さんはどんどん増え続けている。私は以前とは違う意味で、立ち飲み屋さんに憧れのまなざしを送り続けている。

(イラスト ノグチノブコ)
撮影協力:鳥もと 本店
     東京都杉並区上荻1-4-3 (荻窪駅から200m)
     予約・お問い合わせ :03-3392-0865


角田 光代(かくた みつよ)
早稲田大学第一文学部卒業。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、2005年『対岸の彼女』で直木賞、2006年「ロック母」で川端康成文学賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2011年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞、2012年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、2014年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞を受賞。著書に『真昼の花』『キッドナップ・ツアー』『ドラママチ』『三月の招待状』『森に眠る魚』『くまちゃん』『坂の途中の家』『拳の先』など多数。お酒や食にまつわるエッセイも多く、『よなかの散歩』『まひるの散歩』『月夜の散歩』などがある。