ネオンとオンナ

「何度も結婚できる人」の世界

文:鈴木 麻友美 04.08.2019

私のまわりにいる結婚を複数回している友人は、愛すべき魅惑的な人間が多い。アンビバレントな魅力が彼らをモテに導いているのだろう。自分が憧れる人間像はまさにこれ。「何度でも結婚できる人」の魅力と、「状態としての婚姻状態(is married)」、また動詞としての「結婚する(got married)」ことの奥にあるものを探る。

「ひとりに飽きたんだよね」

40代独身の友人男性タカシ(仮)がスナックで飲みながら小さくポツリと言った。場にいたほぼ全員がひとり暮らしだったから、その言葉にそれぞれ自分を照らし、しんみりしてしまった。

タカシは男前で、いわゆる「先生」と呼ばれる職業で、ギラつかず落ち着いていて、でも知性から色気がにじみ出るタイプ。そういうのが好物な人間からすこぶるモテると思う。でも結婚はせず、最近は数年前に飼いはじめた猫にぞっこんだった。

そして、タカシは同席していた3回の結婚経験がある私の女友達カオル(仮)に、先生らしく「ちょっと質問してもいいですか」と丁寧に前置きしながら、結婚について何度も何度も質問していた。

タカシ「一度離婚したら、次結婚するのイヤになりませんか?」
カオル「全然。今すぐまたしたいですよ」
タカシ「なんでそう思えるんですか」

そんなやりとりが続いた。

私は、結婚はゴールだとか幸せの象徴だとは思わない。けれど、「状態としての婚姻状態(is married、夫婦生活や家庭の維持)」ではなく、動詞としての「結婚する(got married)」は、ある種の「能力」だと思っている。

能力というのは己のそれに無自覚の時のほうが発揮しやすく、自覚的になったり客観視しすぎたりするとスランプに陥るもの。「魔女の宅急便」のキキの魔法のように。

複数回の結婚経験者が放つ魅力

35歳、東京都港区であまりキラキラせずに働く私のまわりには、一度も結婚したことがない人間と、複数回結婚経験がある独身が多い。結婚して子どもがいるという友人は少ない。

同類が集まった結果かもしれないけど、学生時代からの長年の友達を定点観測していてもそんな感じだ。嫁に行ったと思ったら、よく戻ってくる。

結婚を複数回している友人は、先にあげたカオルを筆頭に愛すべき魅惑的な人間が多い。

そもそも離婚はだいたい不可抗力だ。本人たちの問題ではなく、相性・タイミング・外的要因などさまざまな理由がある。けれど少なくとも、動詞としての「結婚する(または結婚を申し込まれる)」が得意な人の資質は、わりあい一貫している気がする。

例えば、なにかものをつくりだす仕事や活動への心や時間の比重が多い。起業家だったりクリエイターだったり。そして、離婚(場合によっては複数回)してもくたびれず輝きを増す。

そういう友人たち、とりわけ結婚を求められる側には次のような共通点がある。

(1) 人に期待しない、寛容
(2) 多少の思い込みの激しさ(ないしは自己暗示)
(3) 性善説で生きている (ピュアorこじれてない)

はじめの(1)はかなり「大人」じゃないとなれない。他罰的だとムリだし、相当な人生経験とか徳を積んでないと難しい。対して、(2)と(3)は逆に子どもが元来持っている天然モノの特性である。(1)そして(2)(3)という背反するものを持つ、そのアンビバレントな魅力が彼らをモテに導いているのだろう。往年のスターである俳優や女優が持つ不思議な「少年性」「処女性」はそういうものかもしれないなぁなんて思ったりする。自分が憧れる人間像はまさにこれだ。

3回の結婚経験があるカオルは、私が見ている限り、相手を怒ったり詰めたり、行動をコントロールすることがまったくない。かといって、決して人に興味がないわけではない。母性的な愛情深さを持ち、仕事でも部下をきちんと信頼し褒めて伸ばしている。それは(2)の資質から来ているのかもしれない。(3)の資質からくるであろう「相手を信用する」という点で、裏切られるかもしれないという未来のリスクを厭(いと)わない勇敢さもある。だからか本当によくプロポーズされる。(ちなみに全く人に興味がないゆえに執着がなくそれが「誰に対しても平等に優しい」と誤認される人も一定数いる)

しかし、ここで求婚した側が弱い人間であった場合、結婚後の生活においてカオルのような菩薩系配偶者の深い愛を「無償の愛」と誤認し、驕(おご)って甘えてしまうケースも多々ある。

そう、「結婚する」という「能力」と、婚姻生活を維持する「運」はまるで別だったりする。

どんなに愛情深くても、配偶者は母じゃない。無償の愛なんて、てめえの幻想である。そうすると、動詞としての「結婚する」が得意な能力者たち(求婚する側も求婚される側も)は転じて、婚姻生活では苦しめられることも多い。愛を与える側と与えられる側という役割を分担してしまったらかなしい。分担するのは家事くらいにしておきたい。

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