ビール注ぎ名人 ビールの名店

東京・神田神保町の「ランチョン」、創業109年の老舗がこだわるビールの注ぎ方とは?【動画付き】

コクのある生ビール「Ⓕ(マルエフ)」、「ビールを注ぐのは鈴木家の人間しか許されていません」

文/写真/動画:カンパネラ編集部 09.05.2018

「危険な暑さ」が続いた2018年の夏。乾いたのどをビールで潤す気力すら奪われる烈暑に悩まされたが、東京・神田神保町にあるビヤホールで洋食屋の「ランチョン」は、連日涼を求め、ビールと料理を楽しむ人で賑わった。4代目の鈴木寛さんは話す。「6月終わりからビール需要が伸び、うちとしてはいい年でした」。明治時代から続く老舗はさすがに強い。しかし、単に看板があるからだけではない。様々なこだわりを丁寧に、そして日々変わらず続けていることにあるようだ。

オランダ人によって持ち込まれ、日本で初めて「ビール」という言葉が使われたのは江戸中期のこと。1872(明治4)年に日本人による初の本格的なビール醸造が始まり、1889(明治22)年にはアサヒビールの前身である大阪麦酒が創業。そして明治30 年以降、ビール各社が洋食を楽しめるビヤホールを相次いて開業し、東京に「ビール文化」が定着していく。

東京・神田神保町にあるビヤホール兼洋食屋の「ランチョン」は、そうした時代、ほんのわずかに遅れて創業された。とはいえ、創業は1909(明治42)年と古く、来年で創業110年を迎える老舗だ。

ランチョンの4代目社長、鈴木寛さん。壁画に描かれている祖父・信三さん(2代目、左から二人目)の面影が寛さんに宿っている

「ランチョンを創業したのは曽祖父。なぜビヤホールを始めたのか。鈴木家の人は冒険するような性格ではないと思うんですけどね(笑)。3年前に3代目の父が亡くなったため、私が跡を継いで、毎日休みなく働き続けています」と語るのは4代目の鈴木寛社長。

階段の踊り場にランチョンの外観を写したモノクロ写真が飾られいて、その長い歴史が垣間見られる

『アサヒ生ビール』通称、Ⓕ(マルエフ)が一番人気

靖国通りに面した7階建てビルの2階にランチョンがあるが、現在のビルに建て替えたのは82(昭和57)年。53歳の鈴木さんは以前の建物の時代に生まれ、1階にランチョンがあり、その上の階で暮らしていたという。「おじいちゃん、父の仕事は子どもの頃からよく見ていて、注ぎ方はなんとなく覚えた」そうだ。

ビール注ぎは鈴木家の仕事。寛さんがすべてのビールを注ぐ

「一番人気は『アサヒ生ビール』。通称、Ⓕ(マルエフ)と呼ぶ樽生です。キレを求めるなら『スーパードライ』でしょうが、うちでは扱っていません。コクを求めるならⒻですね」と鈴木さんはその魅力を語る。

Ⓕとはアサヒビール社内の開発記号。「成功への強い願いを込めて、フォーチュネイト(幸運な)作戦と名付けた。少し言葉が長いので、頭文字のFをとって、Ⓕ作戦(マルエフ)作戦と呼ぶことにした」(松井康雄著『たかがビール、されどビール アサヒスーパードライ、18年目の真実』より引用)。

「アサヒ生ビール」650円。ほかに「アサヒの黒生ビール」など合計5種類のビールを扱っている

アサヒビールの源流である大阪麦酒から1900(明治33)年に「アサヒ生ビール」が発売されており、86(昭和61)年に「深いコクと爽やかなキレ」を特長としたⒻが新たに「アサヒ生ビール」として誕生した。長い歴史が息づく正統派ピルスナー生ビールといえる。いまでは缶もびんもなくなり、ビヤホールで樽生から提供されるだけの逸品である。

「うちは営業時間中ずっとビールを提供していますから、お客様は昼過ぎからゆっくりと料理とビールを楽しんでいらっしゃいます。このあたりには出版社も多く、ランチョンは『第二の編集室』だと言って、作家の先生と編集者さんが原稿の受け渡しなどもやっているようですよ」

神保町は古本屋の集まる街。本を片手に、ときおり往来に目をやりながらグラスを傾け、ゆっくりと時を過ごせる
靖国通りに面した建物の2階。席数は110。ランチョンという店名は昔、常連客だった東京音楽学校(現・東京藝術大学)の学生が「名前がないのは不便だから」と付けてくれたという
まるやま食堂