インタビュー 情熱と挑戦の先に

69歳で年100本のステージ 歌手・森山良子の覚悟とは

半世紀現役歌手の生い立ちとこれから:森山良子(歌手) 後編

文:十代目 萬屋五兵衛 / 写真:山田 大輔 03.09.2017

歌手・森山良子がデビューして半世紀が過ぎた。安定感のある歌唱力に驚かされる一方、トークでは少女のような側面も見せる。今も第一線で活躍し続けていられる理由はどこにあるのか。50年の道程を振り返る。

沖縄が生んだ2つの名曲

森山は「自分の居場所は、やはり歌の世界だ」と語る。

「私の肩書きはやはりシンガーです。これこそが唯一、私が一番興味を持っていて、一番自分を発揮できる場所で、かつ私に与えられた場所なんだと思っています。

だからこそ、もっと歌の技能を磨いてうまくなりたいですし、たくさんの引き出しを持っていたいんです。ジャズも好きですがクラシックも歌います。中途半端ではなく、何でもしっかりと歌えるシンガー。それが、私が目指す森山良子の姿なんです」

昨年森山は「コンサートでどの曲を聴きたいか」を来客に聞きながら進めるリクエスト方式のコンサートツアーを行った。多くの会場で1位になったのは、彼女の代表曲の1つ「涙そうそう」だった。

森山にとってもかけがえのない1曲でもあるという「涙そうそう」は、沖縄の石垣島出身のアコースティックバンド・BEGINとの交流から生まれた。

1998年のことである。当時森山は長野オリンピック開会式におけるテーマソングの歌唱に向けて、長野に長期滞在していた。

1998年に開催された長野冬季オリンピックの開会式にて。テーマソング「明日こそ、子供たちが…When Children Rule the World」を歌った。(写真提供:エンジェルソング)

滞在先に、BEGINからカセットテープが届き、作詞を依頼された。このカセットテープの中に収録されていたのが、「涙そうそう」のメロディーだった。

BEGINが作ったメロディーに、森山は、23歳で若くして亡くなった兄の面影を投影しながら歌詞を書いた。そうして完成した「涙そうそう」は、同年に発売されたアルバム「TIME IS LONELY」に収録された。

続いて沖縄出身の歌手・夏川りみもこの曲カバーした。BEGINと夏川りみ、そして森山という3者の組み合わせがシナジーを生み、「涙そうそう」は長期にわたり支持されるヒット曲となった。

森山よりも1歳年上だった兄は非常に頼れる存在だったという。兄が亡くなった時、森山は22歳。当時の森山に、突然の兄の死は受け入れがたいものがあったはずだ。

「私の兄は23歳で亡くなったのですが、心の奥深いところにしまっていた兄への思いを、一気につづりました。それまで言葉にできなかった感情を、メロディーの力を借りて歌詞に書き上げることができました。とりとめのない思いを言葉にできたため、心の中が整理されたんです。

そして、もしこの曲に出会わなかったら、いつまでも誰にも言えない兄への思いを抱えていたかもしれません。出会いとは偶然ではなく、運命が時を選んで、会うべき人に会わせてくれているんだと思えました」

森山は沖縄出身ではないが、このエピソードが象徴するように、歌を通じた沖縄との縁は深い。もう1つ森山には「さとうきび畑」というヒット曲がある。曲名から分かるように、この歌詞の舞台は沖縄である。先の「涙そうそう」が森山いわくの運命的な曲であるとすれば、こちらの「さとうきび畑」は宿命的な曲といえる。

「この曲は、私がデビューをして1年ほどが経った頃に、何度かステージをご一緒させていただいた寺島尚彦先生から『是非歌ってほしい』ということで、頂いた曲です。この歌では太平洋戦争の沖縄戦で父親を亡くした子供の悲しみがつづられています。

戦後生まれの私は、戦争を知りません。その頃の私は、戦争というものを深く考えたこともありませんでした。『歌っているだけで幸せ!』とのんきに思っていたくらいの若輩者でした。ですから、この歌に込められた思いと、私との差がありすぎて、歌えないと思っていました」

それでも当時のディレクターに促され、1969年に発表したアルバム「カレッジ・フォーク・アルバムNo.2」に収録された。収録曲の中でも「さとうきび畑」は特に人気が高く、本人の思いとは反して、コンサートで歌ってほしいというリクエストが増えていった。

「たくさんのリクエストを頂いたのですが、当時の私には、この曲をしっかりと歌える力はありませんでした。次第に、自らこの曲を遠ざけ始めて、歌うことをやめてしまいました」

それでも再び転機が訪れた。1990年に発生した湾岸戦争である。森山は湾岸戦争のニュースを目にして、「さとうきび畑」を再び歌おうと心に決めた。

「日本でも毎日のようにニュースが流れ始めたある日、母から『世の中が大変な時に、愛だ恋だの、そんな歌ばかり歌っていたらおかしいでしょ。あなたにはちゃんと歌うべき歌があるでしょ!』と言われて、ハッとしたんです。もう一度この曲と向き合ってみようと決意し、コンサートで歌い始めたんです」

最初のレコーディングから30年近くの年月を経た2001年、「さとうきび畑」は再びレコーディングされ、シングル盤として発売されることになった。

偶然と言うには出来すぎたタイミングだが、レコーディングを終えた数日後の9月11日に、米国で同時多発テロが発生した。

このタイミングで発売するとテロに便乗したと思われかねない。懸念するスタッフたちの声が上がる中で、森山は「こういう時代だからこそこの歌が必要」と発売を決めた。

「この歌を本当の意味で歌えるようになるまでに、長い時間が必要でした。だからこそ、今では私のコンサートではなくてはならない曲になりました」