インタビュー 情熱と挑戦の先に

【中田正司】ハワイで天職を得る方法「とにかく行動すること」

生き方の原点に迫る:中田正司(起業家・会社経営者)後編

文:十代目 萬屋五兵衛 06.16.2016

ハワイ島でネイチャーツアー会社を経営する中田正司氏。60歳を超えた今でも海に潜り、人々を大自然へといざなう。過去に経験してきた仕事は美術関係や寿司職人など8種類、そして40代後半に天職を手にした。人生を芸術作品と見立てる中田氏の半生に迫る。

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中田はしばらくして、もう一度、故郷の長崎に戻る。以前は商売を始める“フリ”だったが、今度は本気で自分の寿司屋を出すお金を工面するためだ。

親類縁者に頭を下げて300万円をかき集め、再び米国サンタクルーズの街に戻ってきた。目を付けていた物件を運よく借りられた。中田は、半ば手作りで店舗を造り上げた。

「お店を毎日、少しずつ自分の手で造るということは、とても大変ですが、まさに作品づくりです。だから苦に感じたことはありません。それに、寿司がその街で人気があるということは分かっていました。他国ではなく日本人の自分が経営するこの店は絶対に成功すると確信していました」

現地では手に入らない日本の食材を仕入れるために、可能な限りの節約をした。資金のやりくりをするため土下座をして支払いを遅らせてもらうこともあったという。

さまざまな課題を乗り越え、自信をもってオープンを迎える。しかし、最初の1週間で来た客は、10人にも満たない数だった。危機感を持った中田は、すぐに地元の新聞社に電話をした。

「『すごく有名な寿司シェフが来ている。取材した方が良い。俺が本人だけど……』と話すと、面白いと思われたのか、新聞記者が数日後に来てくれました。ここが勝負の分かれ目だという確信がありました。壁には、以前の店でもらっていた有名人、著名人のコメント付きサインを壁一面に飾り、フード彫刻をたくさんつくってみせたんです。

寿司は見たことはあっても、そんなフード彫刻は見たことがなかったらしく、その場でカメラマンを呼び寄せ、翌日の新聞に大きく紹介されたんです。翌日からはうそのように満席になりました」

レストランを経営していた当時の中田(写真提供:中田氏)

あっという間だった。半年後には手狭になった店舗を拡張した。そして3年連続でサンタクルーズでも指折りの名店に選ばれる存在になった。

人気寿司店の職人でありオーナーでもある中田は、がむしゃらに働いた。経済的にも豊かになっていった。

少し時間の余裕ができ、海が恋しくなった中田は、南太平洋の島に渡り、スキューバダイビングのインストラクターの資格を取得した。

しかし、開店から6年がたった頃、それまでの順風が向かい風に変わる。

「1984年のプラザ合意を期に、急速な円高が始まりました。半年で240円から170円になるほどでした。

日本から多くの寿司職人がアメリカに来るようになりました。物価の逆転です。レストランはそれなりに賑わっていましたが、日本から仕入れていた食材などが倍の値段になりました。そんな状態で数年間続くと、利益もやる気も半減していきます。そんな矢先に、カリフォルニアに大地震が襲いました」