インタビュー 情熱と挑戦の先に

【妙義龍】角界随一「アスリート型相撲取り」の原点

カベと向き合い挑戦する:妙義龍(関取/力士)第1回

文:十代目 萬屋五兵衛/写真:陶山 勉 07.14.2016

その筋肉質な体から、「アスリート型相撲取り」と呼ばれる力士・妙義龍。独特なアプローチで角界の頂点を目指す現役力士・妙義龍の姿を通じて、カベと向き合いながら挑戦する生き方を読み解く。(全3回)

それまでのスタイルを完全に捨てた

相撲は国技、あるいは神事との見方もあるが、格闘技という側面でとらえると、力士同士が渾身(こんしん)の力を込めてぶつかり合う極めてワイルドな競技である。特に大相撲を間近で観戦すると、映像では体感できないその迫力に圧倒される。

横綱を最高位とするその階級は大関、関脇(せきわけ)、小結、前頭などと続く。そのため大相撲そのものの仕組みは一般の人には理解しづらいところがあるかもしれない。しかし逆に、日本の伝統と格式に基づいていることもあり、その魅力にハマる人も実に多い。

相撲は1300年近い歴史を持ち、世界的にも貴重といえる。このため海外からの注目度も高く、近年はインバウンドの流れもあって、相撲の観戦時には外国人観光客の姿も多く目にする。ことさら日本ばかりがすごいと言うつもりはないが、相撲は日本人として誇れる文化の1つなのだと改めて実感する。

その文化を、身体を持って受け継ぎ、表現しているのが力士というアスリートたちだ。

力士たちの1日は早朝に始まる。太陽が昇り始める頃、部屋の稽古場には明かりがともり、大きな体の力士たちが、基本である四股(しこ)を踏み始める。

「僕は、朝起きて四股を踏んで目を覚まします。相撲は番付という上下関係の世界がありますから、序二段、序ノ口が5時半から、三段目が6時、幕下が6時半、その後、関取が7時半からと、朝稽古が始まる時間が分かれています。それが10時半から11時まで、ほぼ毎日続けられています。休日といえるのは、稽古がない本場所が終わった1週間くらいだけです」

毎日のように続けられる稽古の日々。小学生から相撲の世界に入り、学生時代にも輝かしい成績を残してきたエリート力士とはいえ、妙義龍もプロの門戸をたたいた時には、おじけづきそうになったという。

「まずは身体の大きさの違いに圧倒されました。学生には180kgを超えるような大きく怪力な力士はいませんでした。だけど、プロの世界は違いました。180kgで運動神経抜群の人がたくさんいます。そのレベルの違いに最初は戸惑いました。僕は小学校2年生から相撲を始め、高校、大学と運よく日本でもトップレベルの成績を残せ、プロの世界にまで入れたのですが、全く通用しない自分に自信を失いかけました」

そして最初のカベに妙義龍はぶつかった。いわゆるプロの道に入った時の洗礼である。体格もさることながら、相撲のスタイルを変えなければ通用しないことを痛感したという。

端的に言えば、妙義龍はプロになった直後、それまでの自分のスタイルを完全に捨てた。

「大学を卒業した頃は135kgくらいでした。巨漢の力士にぶつかられたら、よく言われることですが、車にぶつかられたような衝撃で吹っ飛んでしまいました。今は150kgまで増量できたのですが、それでも平均よりは10kgほど軽いんです。190cm近い怪力の力士たちにどうやったら勝つことができるのか。最初のカベはそこにありました。

相撲の内容を変えなければ。まさにゼロからのスタートを心に決めるところから始まりました」

ただ、ゼロからのスタートが決断できる理由は、しっかりとした積み重ねがあるからである。そしてその積み重ねられた“層”の中に、アスリート型相撲取りと言われる妙義龍ならではの生き方が隠されている。

神社の祭りの相撲で負けて大泣き

妙義龍は兵庫県に生まれた。幼少期から人一倍エネルギッシュで、大人からするとやや手を付けられない子供だったという。

幼少期

まだしっかり歩けない、歩行器に乗っている幼少期の頃、父親と近所の銭湯に行った。子供心のうれしさのあまり、はしゃいで走り回り、転んで4針を縫うケガをした。病院で手当てを受け帰宅してもエネルギーは有り余っていたらしく、歩行器で食事をしている時に手が滑ってスプーンがおでこに刺さった。同日に再び、同じ病院で治療を受けた。

「同じ日です。病院の先生もあきれていたみたいです(笑)。さすがにそれを縫って帰った後はおとなしかったらしいのですが……。自転車に乗れるようになるのも早かったのです。他の子がまだ補助輪を付けているときに、普通に補助輪なしで乗り、よく勝手に町から出ていってしまい、町内放送で探されていたらしいのです。

親は自転車に乗るその姿を見て、競輪選手にさせようと思ったそうです(笑)」

自動車の板金塗装を生業にしていた親が教育熱心で、子供の頃から多くの習い事をしていた。

そろばん、習字、水泳や体操、柔道。そして相撲教室に通うようになるのは、神社の祭りで行われた少年向け相撲大会に参加したことがきっかけだった。

「小学2年生の時、近所の神社で行われた祭りの相撲大会で優勝したんです。そこで1対1の勝負に勝つという楽しさを知りました。会場で少年相撲教室の先生から遊びにおいでと言われて教室に行ってみたのですが、実際には相撲ではなく、追いかけっこのような遊びが主体でこれはいいやと喜び勇んで教室に通い始めたんです。

楽しくて1年が過ぎ、前回大会で優勝したよろこびが忘れられなくて、また神社の相撲大会に出たのですが、決勝で負けてしまいました。それが悔しくて、今度は大泣きです(笑)。でもまさかその頃は、自分が力士になるとは全く考えていませんでした」

その頃、大相撲の世界は空前の若貴ブームが押し寄せていた。子供心に、テレビで見る“ちょんまげ”姿の力士を現実的に感じられないでいた。

相撲取りって、何なのだろう。負けた悔しさも相まって、本格的に相撲に打ち込むようになる。