インタビュー 情熱と挑戦の先に

【妙義龍】角界随一「アスリート型相撲取り」の原点

カベと向き合い挑戦する:妙義龍(関取/力士)第1回

文:十代目 萬屋五兵衛/写真:陶山 勉 07.14.2016

その筋肉質な体から、「アスリート型相撲取り」と呼ばれる力士・妙義龍。独特なアプローチで角界の頂点を目指す現役力士・妙義龍の姿を通じて、カベと向き合いながら挑戦する生き方を読み解く。(全3回)

「もっと本気でやってみないか」と親に言われて

「それからは、祭りなどの催し的なものではなく、市大会や県大会のような公式戦に出場するようになりました。

県大会までは負け知らずでした。唯一、負けたのがその神社の大会でした。県の代表になって近畿地区の大会に行くともっと強い子がたくさんいて、『わんぱく相撲全国大会』という国技館で行われる大会には出られなかったんです。正直、自分のレベルはここまでなのかと思っていました。それでも相撲教室には通い続けていました。中学生になると学校には相撲部はありませんでしたから、陸上部に入りました」

小学生の頃から、運動神経には自信があった。水泳でも市内で好成績を上げていた。

中学に進むと、陸上部の顧問をしていた担任の教員に誘われるがまま、陸上部に入部する。専門競技は、「楽だから」と言われて始めた円盤投げや砲丸投げ。そして妙義龍は陸上部で活動しながらも相撲教室には所属していた。「辞める理由を見つけられなかったから」だという。実質的に、相撲教室には2カ月に1回程度しか行っていなかった。完全に相撲への興味が失いかけていた。

男は中学生ともなると世間のいろいろなことに興味を持つものである。親に隠れて川へ釣りに、友達と一緒にゲームセンターに。

「『行ってきまーす!』と言って家を出て、釣り道具をかばんに隠して、川に釣りをしに行きました(笑)。近所には加古川が流れていて、釣りの盛んな場所もありました。父や叔父の影響で、小学生の頃から釣りを楽しみ、中学生になると1人で川に行くほど夢中になっていました。そして、帰宅予定時間になると、何食わぬ顔で家に帰ったのですが甘かった……。そんな行動は完全に親にはバレていました。

また当時は、今になって考えればかわいいものなのですが、不良グループみたいなものに入っていたんです。少し茶髪にした、深夜まで学生服を着て遊んだり、ケンカもしたりしていました。ただ、ちょっと問題になると決まって父から痛いお仕置きを受けました。父は若い頃ラグビーをしていて、とても怖かったんです」

その頃妙義龍が抱いていた将来の夢は、長距離トラックの運転手だった。映画で観た、派手な装飾が施されたトラック。そのトラックを運転する「トラック野郎」に憧れていたという。そんな時、将来について親とまじめに話し合う機会があった。

「子供の頃から頑張ってきた相撲について、『もっと本気でやってみないか』と言われたんです。当時は相撲をサボっていました。だけど、親の懸命な話を聞いていて、もう少し頑張ってみようと考え直したんです」

決断をすると、親は妙義龍が小学生の時そうしていたように、相撲教室まで車で送迎をするようになった。

「友達と遊んでいても、その後は相撲の練習に行くようになりました。その結果、どんどん強くなっていく自分を知ったんです」

中学入学直後は、160cm程度だった身長は、中学3年生になると182cm、体重は約80kgにまで成長した。3年生の夏には県の大会で準優勝を果たすほどの頭角を現し始めた。

両国で行われた都道府県別の全国大会に出場した。茶髪だった髪型は、坊主になっていた。

「1回戦で負けましたが、『こんな自分でも全国大会に出場できた』というよろこびと、自信が付きました。次のステップへと大きく前進できた、貴重な経験でした」

夏が終わる頃、高校進学を控えた妙義龍には兵庫県内だけでなく、関東の高校からも声がかかった。全国大会の常連校で相撲の名門・埼玉栄高校だった。

≪次回に続く≫

妙義龍(みょうぎりゅう)

四股名は妙義龍泰成。本名は宮本泰成。所属は境川部屋。1986年10月22日生まれ、兵庫県高砂市出身。高砂市立伊保小学2年より相撲を始める。小学校の頃は、兵庫県姫路市の広畑少年相撲教室に通い始め、高砂市立荒井中学校3年生の時に兵庫県大会で2位に輝き、全国都道府県大会、全国中学校体育大会に出場。中学卒業後は、相撲の名門、埼玉栄高校に相撲留学。2004年の高校総体の団体戦では、副将を務め団体優勝に貢献。個人戦では、準優勝に輝いた。高校卒業後は、日本体育大学へ入学。大学3年で東日本学生相撲選手権大会個人優勝。タイ(チェンマイ)で行われたアジア大会で個人無差別級優勝。同国で行われた世界相撲選手権大会では個人無差別級準優勝。大学4年で、大分国体成年個人の部で優勝。この優勝により大相撲の幕下15枚目格付出の資格を獲得。2009年に境川部屋へ入門。2009年5月場所で幕下15枚目格付出として初土俵を踏んだ。

初土俵の場所は、5勝2敗と勝ち越し。その後、7月場所、9月場所、11月場所と3場所連続して5勝2敗と勝ち越し。2009年11月場所後の番付編成会議で2010年1月場所における新十両への昇進が決定。昇進と同時に、四股名を「宮本」から、「妙義龍」へと変更した。

新十両の2010年1月場所2日目に、左膝前十字靭帯断裂という重傷を負って3日目から休場。以後は、ケガの治療とリハビリに専念。2010年9月場所で、4場所ぶりに完全復活。三段目94枚目の位置で7戦全勝の成績を収め、翌11月場所にて幕下へと復帰、6勝1敗で並んだ6人による決定戦を制し、幕下優勝を果たす。2011年7月場所において再十両を果たし、11勝4敗の成績を上げ優勝決定戦まで進出し、優勝決定戦では舛ノ山を破って初の十両優勝を飾った。2011年9月場所でも圧倒的な強さを見せ、13勝2敗の好成績を挙げて、2場所連続2回目の十両優勝を達成。2011年11月場所で新入幕。新入幕の場所は10勝5敗と好成績を挙げた。

2012年1月場所は、9勝6敗の成績を上げて初の技能賞を受賞。5月場所は、4大関を破り大活躍し、2回目の技能賞を受賞。7月場所では新三役へ昇進(東小結)。新三役の場所は、3日目に大関・鶴竜を破り、8日日にそれまで全勝だった大関・把瑠都を破る活躍を見せて、3回目の技能賞を受賞。9月場所には新関脇へ昇進(東関脇)。10勝5敗の好成績を挙げて4回目の技能賞を受賞。3場所連続しての技能賞受賞は、旭富士以来25年振り。平成以降では単独1位となる3場所連続単独での技能賞受賞を記録。2012年11月場所12日目には、新横綱の日馬富士を破る。

2013年1月場所3日目に横綱・白鵬を破り、自身初となる金星を獲得。2013年5月場所では2日目に横綱・日馬富士を破り2個目の金星を獲得し、11勝4敗の好成績を挙げて5回目の技能賞を受賞。

■受賞歴
優勝:幕下優勝1回、十両優勝2回
金星:2個(白鵬1個、日馬富士1個)
三賞:5回 (すべて技能賞)

www.myogiryu-sumo.com

十代目 萬屋五兵衛(じゅうだいめ・よろずやごへい)
フリーライター
本名:高橋久晴。株式会社更竹代表取締役。大学卒業後、音楽業界から職業人歴をスタートさせる。制作、宣伝を中心に独自のマーケティング戦略で有名ミュージシャンやアーティストたちと多くのプロジェクトを成功させる。その後、飲食店開発の企業に転職し、飲食店をリアルメディアとしたマーケィング部門や、他業種のリアル店舗をつなげた新BGMサービス事業、フィットネスコミュニティ事業など、ライフスタイル事業を幅広くプロデュース。数社の役員を歴任後の2013年、家業の会社を軸に自身の経験を活かした企画コンサルティング事業を開始。「現代版よ・ろ・ず・や」というコンセプトを掲げ、多くの企業のプロジェクトに携わっている。

※萬屋五兵衛:1700年代から家系伝承されてきた職業名