「エディブルガーデン」……そのまま日本語にすると「食べられる庭」とでも言えばよいだろうか。野菜やハーブ、果樹など、食べられる植物を育てる菜園や庭のことを指す言葉だ。地価が高く、利用できる土地が少ない都市圏ではなかなか手に入れられない環境だが、今年に入って東京と近郊都市で、自前の菜園付きを売りにした賃貸アパートや分譲住宅が現れ始めた。こうした動きが広がれば、自前の畑や菜園で採れた野菜を、その日のうちに食卓に載せる「ファーム・トゥー・テーブル」(farm to table)という食のスタイルが一般的なものになるかもしれない。その波及効果も大きい。キッチンや調理家電を変え、日本人の住居のあり方やライフスタイルまでも大きく変える可能性を秘めている。

菜園のある暮らしは地方に住む人にとっては、特に目新しいものでもないし、魅力的にも見えないかもしれない。自宅の広い敷地内にちょっとした畑や菜園をつくり、そこで野菜や果樹を作る暮らしはごくありふれたものだからだ。しかし、都市住民にとってはそうではない。特に地価の高い都心では庭や菜園のある住宅に住むことなど考えたこともないという人が多いだろう。

菜園のある暮らしのイメージ(写真:高山和良)

都心に住む人がこうした暮らしを手に入れようとしたら、遠距離通勤と言われる地域に転居するか、田舎暮らしを求めて地方へと移住するかのどちらかになる。しかし、こうした状況を大きく変えるかもしれない兆しが東京とその近郊に現れている。“新しいかたち”の菜園付き住居を提供する動きが出てきたのだ。都市住民の菜園回帰とでも呼べるような現象だ。

菜園付き住居の“新しいかたち”が現れた

今はまだ小さな動きでしかないが、この“かたち”が広がれば、都市住民たちの食を中心としたライフスタイルに大きな影響を与える。自宅にある菜園で野菜やハーブを育て、それをそのまま食卓に出す「ファーム・トゥー・テーブル」(farm to table)という食のスタイルが当たり前のものになってくる可能性があるのだ。たとえば、庭で育てた旬で安全な野菜を採れたその日のうちに料理して、あるいは生のまま食卓に並べる。こうすることで家族は絆を深め、健康を育む。こうした食の変革は、われわれの料理の仕方だけではなくキッチンや家電のあり方まで変えていく。その影響は広く、そしてかなり深い。

今年、東京とその近郊で現れた“兆し”は、次の二つだ。

一つが、東京都大田区に登場した「菜園長屋」と名付けられた屋上菜園付きの賃貸アパート。屋上に土を盛りそこに小さな畑を設けた。長屋と名付けられたように、住居者同士のコミュニケーションやコミュニティ作りを念頭に置いた作りになっている。今までになかったスタイルのアパート・マンションと言える。

そして、もう一つが、埼玉県新座市という東京近郊の都市で展開がスタートした定期借地権と菜園を結び付けた分譲住宅のプロジェクトだ。こちらは農園・菜園を前面に押し出したコンセプトが住宅業界で話題を呼んでいる。自家菜園が付いているだけでなく、共用部に広めの農園を設け、そこを中心に住人たちがコミュニティを築くというコンセプトだ。

どちらも住人同士のコミュニケーションとコミュニティ作りを強く意識したものになっている。

屋上菜園の付いた「長屋」アパート

「菜園長屋」は、多摩川にほど近い大田区東六郷という地域に建てられた3階建ての木造アパートだ。屋上菜園付きテラスハウスという新しいコンセプトを打ち出して今年から入居者を募集し、業界の話題を集めた。大田区西蒲田を本拠地として不動産事業を展開するミノラス不動産(代表取締役:石川英嗣氏)が大田区に移り住んでもらえることを目指して挑戦したというプロジェクトだ。この案件のために同社ではデザイン・コンペを行い、その中で選ばれたのが、建築家・吉村靖孝氏が設計したこの長屋だった。

「菜園長屋」の屋上菜園(写真:吉村靖孝建築設計事務所、撮影:吉村靖孝)

設計者の吉村氏は、数百メートルという超高層の養豚場「ピッグ・シティ」のコンセプトを打ち上げたことで知られるオランダの世界的な設計事務所「MVRDV」で学んだ気鋭の建築家だ。MVRDVでの経験を通じて食と建築の関係に興味を持つようになったという吉村氏が、「菜園長屋」で目指したものは、屋上で隣人同士が気軽にコミュニケーションできる住まいだった。

「コンペで1位になったときの案に菜園はなかった」と笑う吉村氏は、旗竿敷地と呼ばれる細長い土地に住人のコミュニケーションのための共用部を持った集合住宅を作りたかったと語る。ただ、「単に共用部としての屋上を作ってもなかなかそこで交流しないだろうと。それなら屋上に土を入れて自分で野菜を作るような場にすれば交流のチャンスがあるのではないか」(吉村氏)と考えて、屋上菜園という結果に行き着いた。屋上の防水・防根技術、耐荷重性能などの進化もあいまって、都内の住宅密集地域でありながら屋上に菜園を持つユニークなアパートの誕生となった。

「菜園長屋」を設計した建築家、吉村靖孝氏(写真:高山和良)

この菜園長屋の作りはかなり独特のものになっている。吉村氏によれば「らせん階段を上って地上に出るとそこに段々畑の菜園がある」イメージだという。屋上菜園があり、そのすぐ下の3階部分がキッチンとリビング・ダイニングだ。住人は屋上菜園で野菜を作り、隣人とコミュニケーションをしながら、採れた野菜をすぐ下の階で料理して楽しむ。都内で「farm to table」ができるという、これまでではなかなか経験できないライフスタイルを提供してくれる賃貸アパートになる。まさしく都市における住居の”新しいかたち”と言ってよい。

こうした住宅が生まれ、受け入れられるようになった背景には、「都会に住んでいても自然を求めるライフスタイルが定着し始めている」ことがあると吉村氏は分析する。また、こうした屋上の菜園利用については、都市の防災性能を高める意味もあると指摘する。「これまで住宅の屋根や屋上は雨水を早く下に落とすデザインでしたが、水を貯めるデザインに変わってきています」と語る。地面をコンクリートやアスファルトで固めた都市では地面の保水力が奪われている。集中豪雨などの際に雨水であふれてしまう事態が増えている」のだという。「屋上菜園のように屋上で保水できる施設が増えれば、都市の防災性能が高まります」と、吉村氏はこうした住居や建築物が今後増えていく可能性を感じている。

「菜園長屋」の断面の透視図。屋上にある菜園は段々畑をイメージしている(提供:吉村靖孝建築設計事務所)

実際に同氏は、菜園長屋に続くプロジェクトとして、屋上菜園のあるシェアハウスの設計に取りかかっている。これも屋上に菜園と大きなキッチンを持つような住居になるという。