ゲノム情報を活用したバイオ技術が進歩したことにより、さまざまな機能を持つ野菜が誕生している。DNAマーカーによる品種改良に取り組む種苗メーカーのタキイ種苗は、機能性野菜ブランド「ファイトリッチ」シリーズを多彩に展開、農業法人の設立にも参加し、自らマーケット開発に挑む。一方、筑波大学では最先端のゲノム編集技術を使い、高血圧予防の効果があるとされるGABAを多く含むトマトの作出に成功した。薬やサプリメントに頼らずに、人間の健康に寄与する“高機能野菜”の開発動向を追った。

2002年、日本を中心とした国際研究グループがイネの全ゲノムを解読した。植物のゲノム解読としてはシロイヌナズナに続いて2番目となる。その後、トウモロコシなど穀物を中心にゲノム解析が進み、近年ではトマトやキャベツなどの野菜でも次々と解析が行われ、これを契機に農業技術は大きな飛躍を遂げつつある。

ゲノム情報を活用した農業技術のひとつに、DNAの塩基配列のわずかな違いを目印として、より良い個体を選び出す「DNAマーカー」がある。病害虫に強い耐病虫性を持つ野菜を作ろうとする場合、従来の品種改良技術では、大量に育てた中から強いものを選んで何度も交配を繰り返さなければならない。交配する中で耐病性は獲得できたとしても、味や形が変わってしまうこともあり、親よりも良い特徴を持つ子ども(系統)ができるまで10年程度はかかる。DNAマーカーは、その時間を3年程度まで短縮させることが可能とされる。耐病性がある、味が良い、といった特徴を持つ親同士を交配させ、できた子の中でもっとも親に近い遺伝情報を持つ個体同士を掛け合わせ、狙った特徴を持つ系統を育てるのだ。

野菜に「機能性」という新しい価値を提供

日本を代表する種苗メーカーであるタキイ種苗(タキイ)は、オランダのバイオテクノロジー企業KeyGeneが開発した植物ゲノム解析技術を使い、10年ほど前からDNAマーカーを利用した品種改良に取り組んでいる。

2010年に同社は、「ファイトリッチ」シリーズを販売。リコピン、カロテン、ルテイン、アントシアニンといった機能性成分を多く含む「健康野菜」という新しい分野を開拓した。当初は7品目からスタートして、現在ではニンジン、トマト、ハクサイ、ピーマン、タマネギなど20品種に及ぶ。

滋賀県湖南市にあるタキイ種苗の研究農場。年間30種類以上の新品種がここから生まれている(写真:編集部)

「野菜はおいしくて体にもいいということを知ってもらうために作ったのが『ファイトリッチ』シリーズです。最近ではトマトのリコピンなどの機能成分が一般に知られるようになってきましたが、ビタミンやミネラルなどの栄養素に比べればまだ認知度が低い。そこで、私たちが培ってきた品種改良技術を使って、より機能性が高く、科学的根拠(エビデンス)のある野菜の開発を目指しました」

タキイ種苗研究農場生理化学研究グループの富永直樹さん(写真:編集部)

こう話すのは、タキイ種苗研究農場生理化学研究グループの富永直樹さん。種苗メーカーは従来、耐病性などの「育てやすさ」、「揃い」や「日もち」といった商品性・流通性など、主に生産者や市場関係者にメリットをもたらす品種改良に取り組むことが多かったが、同社はいち早く、消費者に恩恵をもたらす「機能性」にも着目したのである。

農業ベンチャーが「リコピンリッチ」を差別化の切り札に

タキイの機能性成分を多く含む野菜シリーズ「ファイトリッチ」に着目し、マーケット開拓に乗り出した農業ベンチャーがある。精密機器メーカーのノーリツ鋼機からコーポレートベンチャーとして設立されたNKアグリ(和歌山県)だ。

ファイトリッチシリーズのニンジン「京くれない」。普通のニンジンにはほとんど含まれないリコピンが含まれている(左、写真提供:タキイ種苗)。NKアグリは、全国各地でリコピンを多く含むニンジンを栽培、「こいくれない」というブランドで販売している(右、写真提供:NKアグリ)

同社は植物工場のレタス栽培によって農業ビジネスを軌道に乗せた。その次の差別化の手段として注目したのが野菜の“機能性”。ファイトリッチシリーズのひとつ、リコピンを多く含むニンジン「京くれない」の種子を用い、リコピン含量を保証する栽培技術を確立し、「こいくれない」というブランドで売り出したのである。北は北海道、青森から、南は熊本、鹿児島にいたるまで日本各地の50を超える生産者と契約し、1年のうちの約半分の期間で「こいくれない」を出荷できる体制を整えた。

リコピンを豊富に含む「こいくれない」には、加工品メーカーも注目している。日本製粉は、「こいくれない」を使ったニンジンジュース「濃恋(こいこい)野菜 こいくれない」を開発。製品1個当たり、βーカロテンを3mg、リコピンを3mg含む健康食品として販売している。

農業法人に出資して健康野菜の普及に乗り出す

さらにタキイは、新しいチャレンジを始めている。タキイ自らが出資して農業法人のTファームいしいを設立、徳島県や徳島大学との産学官連携プロジェクトのもと、カロテンを豊富に含むトマトの大規模生産に乗り出した。

徳島県名西郡石井町にある農業法人のTファームいしいの次世代型の環境制御型ハウス。温度や湿度、CO2量などをITで自動的に管理している。延床面積約1万平方メートルは県内でも最大級(写真提供:タキイ種苗)

ファイトリッチのシリーズに含まれる中玉トマトの「フルティカ」、ミニトマトの「オレンジ千果」など数種類のトマトを最先端の環境制御型ハウスで栽培している。収穫されたトマトは「ひなとま」というブランドで、関西圏を中心に展開するスーパー阪急オアシスで販売されている。

Tファームいしいで栽培されているファイトリッチシリーズの「オレンジ千果」(左)。収穫されたトマトは「ひなとま」というブランドで関西圏のスーパーで販売されている(右、写真提供:タキイ種苗)

「現時点では、機能性成分を含む野菜を育てても、販売やPRの方法がよくわからず、その優位性を生かしきれていない生産者様が少なくありません。当社はファイトリッチの機能性をアピールする販売用のPOPやロゴシールのご提供、レシピ開発などを通して、生産者様を支援しています」と語るのは、研究農場副農場長の福岡浩之さん。機能性成分を含む野菜の本格的な普及はこれからとみる。

AIを活用した品種改良技術にも取り組む

タキイでは、ファイトリッチのラインナップをさらに拡充させていく。中でも、野菜の機能性とともに食べやすさにこだわり、人気を集めているのが、「こどもピーマン」だ。

タキイ種苗 研究農場副農場長の福岡浩之さん(写真:編集部)

「子どもが苦手な野菜の筆頭であるピーマンの品種改良に取り組みました。ピーマン独特の苦みが少なく、肉厚でジューシーな食感が特徴です」と福岡さん。小学生を対象に行った調査では80%以上が『生で食べてもおいしい』と答えたという。もちろん機能性にもこだわる。カロテンは従来品種の約2倍、ビタミンCも豊富に含まれているという。

今後、栄養面に着目した「機能性」だけではなく、おいしさや食べやすさといった別の因子を絡めた品種改良に取り組むうえでは、AIなどの最先端技術も積極的に取り入れていくという。

ピーマン独特の苦みが少なく、肉厚でジューシーな食感が特徴の「こどもピーマン」(写真提供:タキイ種苗)

「味や機能性成分といった性質は、環境による変動も大きく、DNAマーカーで簡単に説明できないものも多いのです。最近は、遺伝子や代謝産物、栽培環境データを網羅的に測定し、それらの技術を組み合わせた研究も増えてきました。こうして得られたビッグデータを活用することで、多様化する品種改良ニーズに対応していきたいと考えています」と富永氏は語る。