介護にAIを活用する――AIベンチャーのエクサウィザーズでは、これまで接点がないと思われた領域を開拓しようとしている。核になるのは、とりわけ認知症の方へのケアに効果があるとされるフランス生まれの包括的ケア技法「ユマニチュード」。ケア事業を担う同社取締役の坂根 裕氏が見つめる介護の未来像とは。

——坂根さんはご自身がユマニチュード認定インストラクターでもあります。改めてユマニチュードと従来の介護の違いについて教えていただけますか。

ユマニチュードには「見る」「話す」「触れる」「立つ」という4つの柱があります。このように説明すると、「いつも見て、話して、触れていますよ」というご意見を頂くことがあります。

しかし、認知機能が低下した方の中には、私たち同士が日ごろ行っている通常の接し方ではそのメッセージを理解されないことがあります。そのため、“伝わっている”と思い込んで話しかけていると、「無視された」ように思えることがあるのです。私たちが相手の近くにいたとしても、その存在やメッセージに気づかれないことがある――このことを理解することが重要であると思っています。

ですから、ユマニチュードの研修では、相手に届く見方、話し方、触れ方の訓練を行います。例えば「見る」では、お互いの顔を、拳ひとつ分の距離まで近づける訓練などを行っています。正面からしっかり視線を捉えて話しかけ、触れます。技術を正しく使いケアすることで良い関係性を築き、少しずつ「この人は良い人だ、一緒にいると心地よい」とケアを受ける方の感情記憶に残るようになります。

エクサウィザーズ 取締役 坂根 裕氏

ユマニチュードの創設者である、イヴ・ジネスト先生とロゼット・マレスコッティ先生が体育学出身ということもあり、ユマニチュードは身体のメカニズムを考慮した技法になっています。すごく論理的です。例えば、座っている人は立ち上がる時、いったん頭を前に出し、前方に重心を移します。この動きにより、足底部に重心が移って、立つことができるのです。ですから、車椅子を机や洗面台に近づけすぎると頭を前に出すことができず立ち上がれません。ある程度距離を取る必要があります。また、ユマニチュードでは、ケアを受ける方が立てるのであれば、極力立って歩くように促します。寝たきりだと身体機能がどんどん低下してしまうためです。あらゆるケアの場面において、健康回復を支援しようという考え方です。

——日本でも福岡市をはじめ、ユマニチュードの波が広がりつつあります。

福岡市の場合、高島(宗一郎)市長が病院に視察に来られました。市長が入院されている方に話しかけられたとき、最初は反応がなかったそうですが、病院所属のインストラクターのアドバイスを受け実践されたところ、明らかに反応が変わったと聞いています。すぐに実践されたことに驚きですが、市長自らが体験を通して効果に触れて頂けたことは大きかったですね。とても前向きに応援してくださっています。この輪がどんどん広がっていけばいいなと。

福岡では、昨年度から家族介護者への講習も実施しています。家族介護の難しさの一つとして、父母や祖父母の健康だった姿の記憶があり、今まで通りのコミュニケーションスタイルを変えることが難しくなる点があります。このため、よい関係を築けず、相互にストレスがたまってしまうわけです。だからこそ、病院や介護施設同様、家族介護者に向けても幅広くユマニチュードを普及させていきたいですね。

——エクサウィザーズでは、ITでユマニチュードの普及を後押ししています。思い立ったきっかけは?

現在当社では、数種類の研修を提供していますが、認定インストラクターによる対面指導が基本です。しかし、対面型の研修だけだと事業として大きくスケールできません。受講者側から考えても、繰り返し研修を受ける時間をつくれないという問題があります。学びの機会が少ないと、ケアの現場に根付かなかったり、継続的に技術を高められなかったりという結果につながります。

そこで、自分の本業であるITを活用しようと考えたのです。また、ITツールを作る際の自分のポリシーとして、必ず現場に赴くようにしています。なぜなら『現場が欲しがっていない、現場で喜ばれないツールを作っても意味がない』からです。そこで、インストラクター育成のための10週間の研修に参加させて頂きました。かなり苦労しましたが、最終試験に合格し、認定インストラクターの資格を頂くことができました。

“課題志向”でAIを開発する姿勢

——具体的にはどんなものですか。

実際にケアしている実践動画をITツール上で共有し、指導者は動画を見ながら動画に赤ペンを入れることができるサービスを考えています。指導者と学習者が離れた場所にいても、スマートフォンやタブレット端末などを使って実践動画を共有し、どこが問題だったかを指導者が指摘します。指導内容は新しい動画となり、すぐに共有されます。まるで、その場で指導を受けているように学べるツールです。

書き込まれた赤ペンや指導の音声は、実践動画に重ね書きして保存されます。クラウドで動画を管理することで、繰り返し閲覧して復習できますし、他の人とケアのコツを共有することもできます。実践動画や指導動画がアップされたら、スマートフォンに通知されるため、サービスに登録していれば、都合のいいときにケアの指導を確認できるわけです。プロトタイプをお見せしたところ、「これは使ってみたい」と、フランスでも好評でした。

——クラウドで知識を共有すれば、一気に普及する可能性がありますね。

指導者の時間をどれだけ自分のために使ってもらうか――その解決策を示すツールにもなり得ます。そもそも、ユマニチュードは、日本ではまだ指導者数が多くありません。このツールを使えば、実践動画を確認しながら学習者の実力に応じた指導ができます。数少ない指導者たちをうまく調整しながら、必要な人に的確な指導を届けられるようになります。

実践動画を活用した指導では、学習者は第三者視点で自身のケアを俯瞰でき、周囲の状況をどのように捉え判断すべきか理解できるようになります。これまでの経験上、学習効果がとても高い指導方法です。加えて、自分の施設において「あの人がこんなに変わったのか」という現実を動画で提示できれば、有効性を共有しやすいメリットもあります。

——AIはどのように活用するのでしょうか。

学習者の実践動画に対して、指導者がアドバイスするわけですが、これは文字通り、教師データになります。これを集めて分析すれば、FAQ(よくある質問)のようなコンテンツを作れます。この共通する問題点を抽出し、その指導をAIに任せられると考えています。いま、「コーチングAI」(商標取得済)と名づけて開発を進めています。

動画や音声などの非構造データを分析し、ケアが上手な人たちの暗黙知を形式知化して幅広く共有したいのです。それらの指導をAIが行えるようにすることで、指導者の時間を圧縮し、より多くの人を指導できるようになるでしょう。ケアが上手な方のレベルアップも大切ですが、家族介護者を含めた、本当に困っている方の技術を少しでも向上できれば、日本全体で見ると大きな改善につながると考えています。

——なるほど。AI開発を手掛けるベンチャーは、それぞれ得意分野があります。エクサウィザーズの場合はどうでしょう。

弊社では解決すべき課題ごとにAIを利活用する“課題志向”な考え方が求められます。課題に対して何が必要かをまず考え、そのプロジェクトに沿ってエンジニアを手配し、大学の先生方など外部の専門家と連携しながら解決していく姿勢です。解決できるのであればやってみようというのが基本です。「当社固有のAI技術があるから、これを使って何ができるか考えよう」という“技術志向”なアプローチとは真逆です。

今の技術でできることから始めることも大切ですが、問題の本質からずれたソリューションになることもあり得ます。弊社会長の春田(真氏)と社長の石山(洸氏)は、本気で社会課題をAIで解決したいと考えていますし、私自身、AIにはその可能性があると思っています。

AIが注目を集めた囲碁や将棋と比べると、介護の現場は大変複雑です。そもそも完全情報ゲームではありませんし、棋譜も存在していません。AIが非常に入りにくい世界で、そこに真正面からアプローチする取り組みはありませんでした。我々は、ケアそのものに直接影響を与えるAIが実現できるのではないかとの想いから、この事業に携わっています。

これから、囲碁や将棋でいう棋譜を、AIを活用して、介護の世界で作っていきたい。言うなれば「介護の棋譜化」です。とらえどころのない言語化困難な世界に、きちんと論理的な説明を加えることを目指していきます。